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(群馬県立利根農林高校工業課程土木課)
三年 青木義明


今朝あたりは小雪がちらつき、冬も盛りになった。そしてまもなく卒業シーズンである。過ぎしわが三年間を回顧し、また未来に心おどらせるこの頃である。

 そこで、心に浮んで来るいくつかの事を、思うままに拾い上げてみよう。私事を書くなどして失礼とは思うが、後輩諸君に役立つこともあるだろうと感じるからである。

 土木科に学んで、最初何もわからないのは誰でも同じであろう。まして、数学ができないで入るとなおさらである。

 私は、中学時代の通知簿の数学の所に、1の数字を見たほどだった。だから応用力学や測量などは全くわからなかった。入学当初のテストに零点があったことを思い出す。しかし、人に遅れまいとして、わかるまでがんばった。

 毎晩一時前に寝た記憶はない。力の合成や分解の公式が理解できた晩や、断面一次モーメントがわかった晩などの嬉しさは、いまだに忘れられない。無心にがんばったあの頃がなつかしい。こういう事は誰でも経験するだろう。

 学生時代のなつかしい映像として、いつまでも心の中に残ることを思えば、今の苦労などは、憂うものではない。喜びがあるから、苦労も、努力も、楽しいものなのだ。

 「努力に勝る天才なし」とよく言われるが、まさにそのとおり。最初から何でもできる人はありえない。だから、誰だって、努力さえすれば、それがわかりそれが出来るという可能性をもっている。

 しかし、そうわかっていても、若いわれわれにとっては容易に実行できないのが現実である。強い克己心も必要だし、住んでいる環境の影響などもあってなかなかやる気になれない。

 こう考えると、教育者の存在する意義は大きい。先生あっての我々である。土木科の科長は剣持先生で、徹底的に指導し、われらを強く引張って下さった。その熱意は人の想像するところではない。そのせいか、先生はよく怒る人でもあった。少なからず、それに反發心を覚えたけれど、けっしていじけはしなかった。かえって、それを勉強に昇華した。今、先生を想うと自然に頭が下がってくる。

 土木科には、測量士の国家試験、計算尺検定試験、就職や国家公務員の試験などの、大きな山が、ふだんのむずかしい勉強の野原の中に、適当な間隔を置いてそびえ立っている。

 これは、よく考えるとほんとうに有難い。この山の一つ一つに全力を傾けて対処したことで、精神力も知力もだいぶ鍛えられた。そこを、いやがらずに登ると必ず大きなものが得られると確信する。人生万般にもそう言えよう。

 何でも体験することは非常に大切だろう。それらに、力の限りを尽くすことは、たとえ失敗に終っても、必ず自分を磨き高める。若さで思う存分ぶつかることだ。しかし、無策ではいけない。

 土木科の生徒は、専門科目をよくやって一般教養科目はあまり熱心ではないと言われる。これは科の特殊性もあるので、ある程度はしかたない。しかし、人間らしく生きるに、それでは、いけない。自分はこんなことをして来た。

 中学以来、英語や国語が得意だったこともあって、それに又、大好きだったから、ラジオの基礎英語や英会話などを一年以上聞いた。又、やさしい英語の読み物を数冊読んだ。英語検定三級に合格した時、「やって良かったな」と思った。外国語を学ぶ意義は大きい。

 それから、内外の文学書、各種教養書を多く読んだ。この間、百冊を超えた。読書して思索することは、精神に栄養となって作用する。読むなら良書を選んだ方がいい。本なんてつまらない、と思う人ほどつまらない人間はない。

 「本を読み終えた今の自分が、昨日の自分と比べて、別人になったと感ずるであろう。」と小泉信三氏は言っている。味わい深いものだ。青春も人生も二度とないのだ。

 また、新聞をよく読んだ。社説や評論などはスクラップを作り、その要旨をノートにまとめた。だいぶ読解力がついた。毛沢東首席は、農民運動の最中、新聞を丹念に読んで、現実を忘れなかったと言われる。自分で思索したことを、現実に照らして進むとより確実になる。

 二年生の頃から日記を書いている。自分を反省し、また自分を知るために役立つ。じっくり思索して、考え方を養い、物を発言するのに役立てて来た。

 ここで回顧から離れ、今にもどろう。そして自分の三年間を総括すると、こうだろう。「自分は自分の境遇において、最善の努力を尽くして来たつもりである。苦難に際した時、自分を励まし、自分を信じた精神が、今日の私を私とさせたのだ。」

 そして、こう自分に言い聞かせている。「慢心してはいけない。これでいいわけはないんだ。もっともっと努力しよう。」と。


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JRAの新人騎手が発表された。競馬学校36期生で今回は4名だ。入学者は8名だったということで卒業できたのは半数ということになる。

昨年は新人騎手は7名に加えて藤井騎手が加わって合計8名と多かった。しかし18年は3名、17年は5名、16年は6名に留まっている。

以前は合格者がもっと多かったように思えるが最近は学校での進級、卒業が厳しくなっているということだろう。

JRAの騎手は実質的に全くのフリーランスだ。このため馬への騎乗は有力騎手に集中しており、逆に騎乗機会の少ない騎手も少なくない。

そのような騎手は早く引退するためにJRAの騎手の人数はかなり減少している。新規に卒業して騎手となる人数が減ってきているのもそのような理由があるためだろうか。

一方地方競馬の新人騎手は教養センターで育成される。

今年の新人騎手の発表はまだだが昨年の9月にすでに4名が騎手として合格しておりレディスヴクトリーラウンドに出走している関本玲花騎手も入っている。

19年には11名、18年は7名、17年も7名、16年も7名の新人騎手がデビューしている。

地方競馬は主催者が多くあるからそれだけ騎手が必要ということか。あるいは低下を続けていた馬券の売り上げが上向いてきたことも理由かもしれない。

しかしJRAの競馬学校の騎手課程は期間は長くかなりの費用が掛かっているはずだ。

それでありながら年間の卒業する新人騎手が3名とか4名では費用対効果が悪すぎるのではないか。

それならばJRAと地方競馬の騎手養成を一本化したらよいのではないかという意見も出るだろう。

しかし一本化した場合、卒業後にJRAと地方競馬のどちらに行くかは収拾がつかない。というのも全員が中央に行きたがるはずだからだ。

効率は悪くても現在のようにJRAと地方で独自に騎手養成を行う必要があるということである。



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騎手でJRA通算1515勝 剛腕・郷原洋行さんが死去 ニッポーテイオーと名コンビ



 騎手時代にJRA通算1515勝を挙げ、“剛腕”の異名で一時代を築いた郷原洋行氏が、1月31日に亡くなっていたことが8日に分かった。鹿児島県出身、享年76。通夜、告別式は既に近親者のみで執り行われた。

 郷原さんは62年3月に中山競馬場の大久保房松厩舎から騎手としてデビュー。67年にはリユウズキで皐月賞を制し、クラシック初制覇を果たすなど79勝をマークして、早くも関東リーディングを奪取した。毎年のように加賀武見騎手と激しいリーディング争いを繰り広げ、関東では長らく“加賀・郷原時代”が続いた。

 プレストウコウで77年菊花賞、そしてオペックホースで80年日本ダービーを勝ち、牡馬クラシック三冠制覇を達成。さらに郷原さんの名声を高めたのが、ニッポーテイオーとの名コンビだった。87年天皇賞・秋では、断然の1番人気に応えて5馬身差で逃げ切り勝ち。圧倒的なスピードを武器に同年マイルCS、88年安田記念も制してG13勝。数々の名勝負でファンを沸かせた。

 89年にはウィナーズサークルで2度目のダービー制覇。平成初のダービー馬は、いまだにただ一頭の芦毛のダービー馬として競馬史に名を残している。また、88年からは日本騎手クラブの会長を5年間務めた。

 93年に騎手を引退し、調教師に転身。00、01年中山グランドジャンプを連覇したゴーカイを輩出し、JRA通算104勝を挙げた。11年2月に定年まで3年を残して勇退。14年に競馬の殿堂入りしている。

https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=166886
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