グリーンチャンネルに「栄光の名馬たちセレクション」という番組がある。その題名の通りかつての名馬を映像で振り返るものだ。

先日にはバンブービギンが取り上げられた。ところがバンブービギンとはどんな馬だったのかほとんど記憶がないのだ。

そんな馬名の馬がいたような気はあるがどんなレースを勝ったのかさっぱりである。

ところが番組を見ていくとなかなか未勝利を勝たないのだ。

のちに大レースを勝つような馬なら新馬を勝つか早々と未勝利を抜けそうなものだ。

そして未勝利戦の出走馬の騎手はこれまた記憶にない騎手ばかりだ。バンブービギンは関西馬であり現在とはことなり馬や騎手は東西の交流がない時代だ。

関東のファンにしてみれば関西の一流以外の騎手の名など覚えているはずもないのである。

バンブービギンは結局デビューしてから7戦目の未勝利を勝つ。その後400万下平場、900万下のやまゆりステークスと3連勝。

秋は神戸新聞杯2着、京都新聞杯1着、そして菊花賞を堂々と1番人気で向かい直線で差し切ってクラシックホースとなったのだった。

そして故障により菊花賞を最後に引退してしまった。一流馬として過ごしたのはこの秋の一時だけであり記憶がなかったのも仕方がないと思えた。

ところでバンブービギンが出走したのは何年前のことか。この番組ではレースの日付が出るか昭和63年、平成元年となっている。

これでは何年前のことか俄かには分からない。年の表示は一般では今や西暦を使われることがほとんどだが役所関係は元号だ。

JRAは準役所というべき存在だからこのようなテレビ番組でも元号が使われる。となると昭和63年、平成元年が何年前かは西暦に変換しないとわからない。

昭和から平成を経て今や令和の時代だ。それぞれが西暦で何年なのかが俄かには分からないので全く面倒なのである。

テレビだけではなくJRAの出版物なども元号だ。

以前に中央競馬ピーアールセンター編の中央競馬レコードブックには重賞競走累年成績が載っているが施行年は当然元号となっている。

また中央競馬振興会で現在も発行されている日本の競馬総合ハンドブックには年度別のリーディングサイヤーなどが掲載されているが年度はもちろん元号だ。

ところが同本には外国の競馬のデータも載っているがこちらはもちろん西暦である。

一方民間発行の例えば2000年の競馬イヤーブックの重賞の累年成績は西暦であり、またインターネットのnetkeiba.comも西暦だ。

これを見ればバンブービギンのデビューは1988年で33年前かとすぐわかるのである。





沢田準【競馬を楽しく】
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競馬新聞には上がり3Fのタイムが記載されていて、最速上がりはゴシックで太字表記になっている。しかし、この「当たり前」には実は大きな疑問がある。なぜ、3Fの表記なのか?追い切りの表記も坂路は3F→2F→1Fと表示されるけれど、コース追いは3F→1Fの表示。

世界的に見ると2Fごとの表記が標準で、2F時計の積み重ねがペース判断と走破タイムの評価基準となっている。今、手元に2007年にコイウタがキャッシュコールマイルで9着した時の「デイリーレーシングフォーム」紙がある(コイウタに騎乗した内田博幸騎手にもらったものだったと思う)ので参考までに。

この年は他にキストゥヘヴン(エスピノーザ騎手で4着)とディアデラノビア(岩田康騎手で5着)も出走していたが、優勝したのはレディオブヴェニス。この馬の成績欄を見ると、マイル戦では2F→4F→6F→走破タイムの順・9F戦では4F→6F→マイル→走破タイムの順で表記されている。

ちなみに5F戦では2F→4F→空欄→走破タイムの順 で、6F戦では2F→4F→5F→走破タイムの順で、7F戦は2F→4F→6F→走破タイムの順でそれぞれ表記されている。つい最近まで前半3Fすら表示されていなかった日本とは、根本的な思想の違いが感じ取れる。「2F時計の積み重ね」が基本理念なのだ。

地方競馬の広域場外発売レースを見ていると、高知の千四戦ではアナウンサーが前半2Fの通過タイムを読み上げている。正面スタンド前を駆け抜けて、1コーナーの入口に残り千メートルの標識があるので手元時計でも取りやすいのだろう。C級なら2F通過24秒5が、ペース判断の一つの目安になる。

機械計時の今なら、2F表記への変更はおそらく簡単(坂路の時計が1F刻みなのも、チップによる機械計時のなせる業)。カナダのウッドバイン競馬場も、電光掲示板の上がり表記は4F→2Fの表示だった。新馬券もそうだったように、南関東から2F表記を日本に普及させてもいいのでないか。

機械計時といえば、走破タイムの小数点以下も2桁にすべき。サラブレッドよりも足が遅い人間の陸上競技だって、小数点以下は2桁表記なのに競馬は相変わらず小数点以下は1桁。海外遠征した騎手に取材すると、韓国とマカオは1桁表示のようだが香港とシンガポールはずいぶん前から2桁表示。

着差に関してはハナ・頭・クビ・1/4馬身単位と細かいのに、時計に関しては大雑把な印象を受ける。馬齢を数え歳から満年齢に変えて20年、そろそろ時計に関する事項も世界標準に合わせる時期に来たのではないか。地方競馬、とりわけ南関東からのボトムアップで変えて欲しいものである。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
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2月にサウジアラビアで、3月にはドバイで、日本調教馬が大活躍した。

サウジでは6レースの国際レースで4勝、ドバイでは8レースで5勝(同着があるから4・5勝というべきか)というから驚きである。

ところでデッドヒートが同着の意味であることを知らなかったメディアがあったことはいささか意外だった。

JRAで外国の馬券を発売するようになった当時、各メディアでは外国の競馬用語の解説が行われたが、デッドヒートが同着の意味であることはあまり徹底されていなかったのだろうか。

デットヒートという言葉は日本語としては通常は接戦、激戦という意味で使われる。

しかし競馬用語としては同着という決まった意味があるので、競馬に関しては接戦、激戦という意味で使ってはいけないのである。

JRAのホームページの外国競馬用語では「同着」とされており接戦、激戦という意味は書かれていない。

サウジ、ドバイでの日本馬が活躍しすぎたことから今後は日本馬は招待されないのではないかという声がある。

しかしサウジ、ドバイではその心配は無用である。それはこの両地域では競馬はイベントであるからだ。

馬券を売るわけではない。レースを実施することが目的なのだ。外国から多くの馬に来てもらうことが重要なのである。

日本馬が活躍して困るのはむしろ香港だろう。日本馬が勝ちすぎるとアメリカやヨーロッパから遠い香港には来てくれないからだ。

実際に先日に行われた今年の香港チャンピオンズデーの3レースは外国馬を締め出して行われた。

今年はコロナウイルスの影響ということで香港馬限定であっても国際グレードは与えられたようだがこの先はどうするのだろうか。




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木村和士騎手◆沢田準【競馬を楽しく】

まだ重賞の勝利は多くはないがそれでも2020年にはG1のサマーステークス、G2のロイヤルノースステークスとベッサラビアンステークスを勝っている。

そしてその若さだ。1999年9月生まれのまだ22歳。18年と19年にはカナダの最優秀見習騎手賞、19年には北米の最優秀見習騎手賞を獲得しておりいわば見習が取れたばかりの騎手というわけなのだ。

もっとも日本でもJRAでは21歳の岩田望来騎手、23歳の横山武史騎手、地方では佐賀の19歳の飛田愛斗騎手がいるから上手な騎手は若くてもうまいということだろうか。

ウッドバインの成績を見ると木村騎手の騎乗数が非常に多いことがわかる。それだけ調教師の信頼を得ているということだろう。

この木村騎手のキャリアはユニークだ。JRAの競馬学校の騎手課程に合格しているのである。2015年入学の34期。しかし2017年に退学している。

この期の入学者数は3名。このうち無事卒業し騎手になったのは3名だけだ。木村騎手を含め2名が卒業できていない。

騎手となったのは西村淳也騎手、服部寿希騎手、山田敬士騎手であり西村騎手は活躍しているがあとの二人はまだ減量印が取れていない。

木村騎手が競馬学校を退学した理由は明確にされてはいないが、退学後わずかな時間で外国の一流騎手になったということについては競馬学校はどのような育成をしてきたのかと疑問を持つところだ。

ウッドバインには木村騎手の先輩にあたる福元大輔騎手がいる。福元騎手は競馬学校を2回受験したが合格できなかった。

それでも騎手になりたかった彼はつては全くなく英語もしゃべれないのに一人でウッドバインに行きついに騎手免許を取った経緯はグリーンチャンネルの番組で詳しく伝えられた。

福元騎手は騎乗数や勝利数は木村騎手にははるかに及ばない。

しかし2020年にはカナダ3冠のうちクイーンズプレートとプリンスオブウェールズステークスを勝ち昨年はG1のウッドバインマイルを勝った。

今年の2月にはサンタアニタで騎乗しG3のサンシメオンステークスを勝っており木村騎手をうわ回っているといってもおかしくない。

二人の活躍を見れば日本での活躍を見たいというファンは多いだろう。カナダは冬から春にかけての休止期間が長くその時に日本で騎乗する時間は十分にある。

福元騎手はJRAで乗るのは問題ないだろうが木村騎手は競馬学校を中途退学した経歴がありJRAは短期免許などでの受け入れは可能だろうか。

そのような事態になった時のJRAの判断に興味が保たれる。


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青木配合馬の三冠牝馬デアリングタクトが栗東の厩舎に帰還◆青木の競馬一直線



血統パドック ツイッター
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個人的に嬉しいニュースは青木配合馬の三冠牝馬デアリングタクトが栗東の厩舎に帰還したこと 苦難を乗り越えてようやくレースに出走の見通し 無事に復活してくれたら最高です 来月のヴィクトリアマイルが楽しみでもあり 少しばかり不安でもありますが 頑張れ デアリングタクト!




◆青木義明【競馬一直線】
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サラブレッド血統センター発行のスタリオンレヴューが送付されてきた。

スタリオンレヴューは生産者やオーナーなどの競馬関係者へ無償配布されている種牡馬関係の資料である。

内容は種牡馬のカタログに始まり各種牡馬の2021年の種付名簿、サイアーライン、種牡馬の3代血統表、2021年のリーディングサイアー、日本と外国の主要レース結果、生産関連トピックス、国内セリ市場取引成績といったものである。

ただし種牡馬はスタリオンレヴューに広告が掲載されている馬に限られる。

主な配布先は競馬関係者だが競馬ファンにも「競馬四季報春号」についているアンケートに答えると送料のみで送ってもらえる。

インターネットの時代で紙で発行されている競馬のデータはほとんど無くなっている現在では、このスタリオンレヴューは中央競馬振興会で発行されている「日本の競馬総合ハンドブック」と並んで本の形の資料として貴重なものである。

今号は通巻50号(ということは第1号から50年ということだ)を記念してスタリオンレヴューの歴史が書かれている。

これによると1972年3月に競馬四季報が創刊されたときに四季報のPR用に作られた小冊子がスタートであり、翌73年から四季報に掲載された種牡馬広告を再編集したものがスタリオンレヴューということだ。

つまり四季報に掲載の種牡馬広告を編集したスタリオンレヴューが毎年発行されてきたのである。

四季報は2002年に従来の関東版、関西版に分かれていたものが全国版にまとまった時に種牡馬広告の掲載をやめた。

そして種牡馬広告は2001年版からスタリオンレヴューだけに掲載されるようになった。

またこの年から種牡馬広告以外に各種のデータも掲載されるようになった。

この時は全日本合同フリーハンデ、日本のグレードレースの勝馬、日本と外国のリーディングサイアー、父馬別産駒、厩舎別管理馬一覧、セリ結果といったデータが掲載された。

掲載されたデータはその後いろいろ変遷があり現在は前記のものとなっている。

手元には2001年より前のスタリオンレヴューもあるが確かに内容は種牡馬の広告だけであり競馬のデータは全く載っていない。




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ユーチューブ/「皐月賞 有力馬の配合分析」◆青木義明の競馬一直線



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春競馬に燃える闘争心◆青木義明の競馬一直線


春競馬たけなわ

桜花賞
ニュージーランドT
阪神牝馬S

そして来週は 皐月賞

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馬券を買うという立場で競馬を考える時、大抵はそうだろうが、レースはいくつかの種類に分けられると思える。

一つは断然の人気馬が1頭だけいるレースだ。このような場合はその人気馬から買うか、逆にその人気馬を外して買うかだろう。

しかし人気馬から買った場合は配当は低く利益はあまり上がらないし、人気馬を外した馬券は的中する確率は低い。

このようなレースはあまり買いたくないレースと言えそうだ。

次は大阪杯のように2頭の人気集中馬がいるレースだ。このレースでは人気馬両頭を含めて買うか人気馬のどちらかを中心にするか、あるいは両頭を外すかだ。

大阪杯のように人気両頭が消えてしまうことも少なくないだろうがその場合は高配当になる。しかし、そのような馬券はなかなか難しい。

普通は人気馬のどちらかを軸にして買うのが一般的だろう。うまく人気薄が絡めばいい配当も期待できる。

しかし最も可能性が多そうなのが数頭の人気馬がいるレースだ。そのなかから1頭か2頭を選びその馬を軸とした馬券とする。

人気にもよるが当たればある程度の配当が期待される。ファンが最も買いやすいタイプのレースではないだろうか。

さらに人気になりそうな馬がもっと多いレースもまれにある。このようなレースは検討するのはなかなか苦労するが、しかしそれはなかなか楽しい作業だ。

各馬の特徴、優位なところを比較しその馬が最も強そうか考えるわけである。

逆に弱点のある馬ばかりのレースも時には出現する。このようなレースは検討するのが最も困難だ。

各馬のマイナス点を比べてどの馬が増しかを考えるのだが、プラスの比較とマイナスの比較を比べるとマイナスの比較は難しいし面白くない。

そんなレースが先日にあった。4月2日の阪神第10レース仲春特別である。

2勝クラスの芝の1200、14頭。印のついているのはディヴィナシオン(1番人気)、ラヴケリー(2番人気)、メイショウドウドウ(3番人気)。

一応人気馬はいた。しかし4番人気のメイショウハボタンを含め上位人気馬は揃ってかなり極端な追い込み馬だ。

そしてこのレースは短距離であるにもかかわらず逃げ馬不在なのである。逃げどころか先行タイプも少ない。

しかも前走が良いのは2着だったディヴィナシオンだけで前走5着が4頭いるだけという低調馬だらけである。

主力が追い込みならば前に行く馬を狙えば良いのだがどれが逃げるのかが全く分からない。

結局私はこのレースは見送りとなった。いわゆる「ケン」である。

さてどんなレースになるか、なんとエーティーメジャーが逃げた。ここ4走は後方ママの2桁着順の馬だ。

そしてそのまま逃げ切ってしまった。単勝172倍。3連単は144万という大波乱である。

ここまでの大荒れとなったのは驚きだが、低調馬のレースは難しいという例になったのだった。


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「週刊競馬ブック」でアナウンサーの矢野吉彦氏が、素晴らしい仕事を続けている。鉄道と競馬場の繋がりを掘り下げてみたり、なくなってしまった競馬場のルーツを辿る旅をしてみたり。「物書き」を本業とする筆者が羨ましくなるような、競馬史に残る著作を編み続けている。

「競馬史発掘 左回りと右回りにまつわる話」という連載も秀逸で、昨年11月に大井競馬場で左回りのレースが行われたことが「この連載を書くキッカケとなった(第1回冒頭および第3回本文より)」とのこと。詳細は読んでいただくしかないが、多岐にわたる調査とそれに基づく知識は圧巻という他ない。

個人的な話で恐縮だが、第2回を読んで東京競馬場のスタンドを設計した建築家が東武鉄道浅草駅と近鉄宇治山田駅も設計したことを知って納得。確かに浅草の松屋デパートを含めた雰囲気は、近鉄宇治山田駅(伊勢神宮と筆者の実家の最寄駅)とよく似ている。

最寄駅と書いておいて言うのもなんだが、筆者の実家は三重県南伊勢町の奥の奥にある小さな浦。バイパスが通った今でも車で1時間半、峠越えがあった昔は2時間以上かかる「最寄り」。高校進学時に駅前の下宿屋に入り、「ぱんじゅう」(と言っても関東の人には知名度ゼロか)を齧った青春が懐かしい。

第3回には筆者が住む松戸にあった松戸競馬場(中山競馬場のルーツ)が、左回りの競馬を行なっていたことが書かれている。競馬場があったのは知っていたが、左回りだったことやロンシャンと似たような「フォルスストレート」があったとは知らなかった。

矢野氏が「私と同年代かそれよりご高齢のファンならご存知かもしれない」と書いていたのは、東京競馬場で行われていた右回りレースの話。1984年(シンボリルドルフが21頭立てのダービーを勝った年)まで、右回りの芝千二が組まれていたのは確かに覚えている。

向正面の中ほどがスタート地点で、今では芝二千の引き込み線として使われているところを通ってスタンド前に出てくるレイアウト。その名残で引き込み線とはいえ、コースはまだ繋がったままだ。大井競馬場と同じく、ゴール地点は左回りとは別に設定されていた。

大井左回りコースについては、今後は距離のバリエーションも増やしていくと聞いている。新設重賞を作ったり、既存の大レース(私案としては羽田盃かジャパンダートダービー)を行なったりすればそれが目玉レースになるはず。「右か左」から「右と左」へ、新時代を切り拓いて欲しい。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
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