いよいよダービーということで各メディアではダービーの特集を扱っている。

その中で自ら永久保存版として掲載された「週刊ギャロップ」の第1回からの全成績は立派なものだ。

馬名だけではなく騎手名、調教師名、馬主名、生産者、父と母が全出走馬について記載されている。たしかにこの記録は保存しておくと便利だと思える。

これを見ると第1回(昭和7年)から第6回(昭和12年)までは着差は3着までが、第7回(昭和13年)は5着まで、第8回(昭和14年)から第13回(昭和19年)までは7着まで、戦後の第14回から第23回(昭和31年)までは5着までが記録されている。

そして第24回(昭和32年)からは最下位までの着差が記載されているのでこの年から写真判定が採用されたことがわかる。

さらに驚かされるのは出走馬の多さだ。戦前から20頭を越す年も多いが戦後の昭和27年は31頭、28年は33頭、37年は32頭である。

このような多頭数で写真判定を使えずに着順を判定した決勝審判は大変な技術と感心させられるのである。

さてこのような多頭数のダービーについて思い出すことがある。

日本短波放送の競馬実況アナウンサーの小坂巌氏だったと思うが、雑誌のコラムにぜひ出走馬全部の馬名を呼びたいと書かれていたことだ。

現在の18頭ではない。フルゲート28頭の時代のことだ。ただでさえ緊張するダービーという大舞台、たしかに全馬の馬名を呼びたいのだろうなと納得したのである。

ところで最近、レース実況で失敗したかという話を二人のアナウンサーから紹介された。

一人はテレビ東京で実況している矢野吉彦アナウンサーだ。

グリーンチャンネルの草野仁のGateJプラスに出演した時の話で、平成15年のジャパンカップダートでゴール前は接戦となりアドマイヤドンがアメリカのフリートストリートダンサーを差したように見えた。

そこで矢野氏はアドマイヤドンが勝ったと放送した。ところが差されたように見えたフリートストリートダンサーは粘りアドアイヤドンを抑えてしまったのである。

当時はテレビ東京のアナウンス席はゴールからかなり離れていたということであり、ほとんど同時と放送しておけばよかったのではないかと思うが、矢野アナは自信があったのだろうし、自信があれば言い切るのがアナウンサーなのだ。

もう一人はラジオNIKKEIの中野雷太アナウンサーである。「週刊競馬ブック」のおもひでの名勝負。

平成23年のダービー、オルフェーヴルが直線があっという間もなく抜け出したレースだがその瞬間を見逃してしまったということである。

雨で暗い場内、服色を確認するために「塗り絵」(服色を書いたペーパー)を見た時に抜け出されてしまったのだ。

この二つの事件で両アナとももうこれで終わりと覚悟したそうだ。他のスポーツならアナウンサーが少々ミスをしてもフォローは容易だ。

しかし競馬ではそうはいかない。また他のスポーツのアナウンサーでも特別な訓練をしなければすぐに競馬をアナウンスすることはできない。競馬のアナウンサーは特殊なのである。



◆沢田準【競馬を楽しく】
http://bit.ly/1BFqU5c

◇競馬通信社◇
http://ktsn.jp