ランフランコ・デットーリ騎手の活躍は驚くばかりだ。エネイブルで凱旋門賞3連覇を狙い、ヴェルメイユ賞を勝ったスターキャッチャーはデットーリ騎手が重なるため凱旋門賞を回避するということだ。

日本では他の騎手を騎乗させるところだろうがデットーリ騎手の存在はそれだけ重要ということだろう。

デットーリ騎手は48歳、デビュー時からの活躍は日本でも早くから知られておりもうそんな年になったのかと驚かされる。

他の騎手はみな自分より年が低くなってしまい50歳の武豊騎手がヨーロッパに乗りに来ると自分より年上の騎手が来たと喜ぶというのが面白い。

そのデットーリ騎手が凱旋門賞後、短期騎手免許でJRAに参戦することが発表された。

デットーリ騎手はジャパンカップに3度勝つなど日本でも活躍しているが短期免許での騎乗は2回目である。しかしその時は日本ダービーに騎乗するための2日間だけであり本格的な短期免許騎手での来日は始めてということになる。

デットーリ騎手の騎乗を日本で見ることができるのは楽しみとはいえるが、しかし私は今さらデットーリ騎手でもあるまいと思うのも確かなのである。

短期免許騎手制度がどのようにスタートしたのか。短期免許で初めてJRAで騎乗したのは1994年のリサ・クロップ騎手、アラン・ムンロ騎手、オリビエ・ペリエ騎手だ。

それ以前にも現在のワールドオールスタージョッキーズに繋がる招待レースで多くの騎手が来日した。

1974年には5人の騎手が招待され京都と東京でレースが行われたが、ソ連からウラジーミロフ騎手(当時21歳)が履いていた勝負靴があまりにおんぼろだったので日本の騎手が同情しお金を出し合って靴をプレゼントしたという話もあった。

まだジャパンカップには多くの馬が参戦しており騎手は当然外国の騎手だった。このように外国人騎手の騎乗が珍しくなくなり、その延長で短期免許騎手制度が始まったのだろうか。

当初はオリビエ・ペリエ騎手、マイケル・ロバーツ騎手、ミルコ・デムーロ騎手のように活躍した騎手もいたが、あまり活躍できず1回か2回だけしか来日できなかった騎手もいた。

その後日本での騎乗の価値が認識され各国でのトップクラスの騎手がやってくるようになった。JRAも誰でもいいというのではなく成績に条件を付けるようになった。

それにしてもデットーリ騎手やジョアン・モレイラ騎手、ライアン・ムーア騎手のように評価の定まった騎手よりもオイシン・マーフィー騎手、ダミアン・レーン騎手のように若く将来性のある騎手を呼んでもらいたいものである。




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