インターネット投票の普及で、地方競馬は生き返った。「生き返った」という言い方は誇張でもなんでもなく、インターネット投票がなかったらおそらくナイトレースは南関東だけ。かつて道営も高知も常に廃止が取り沙汰されていた競馬場で、実際に道営では札幌と旭川の開催を取りやめて門別に一元化することで経費を圧縮した。

道営はいわゆる「馬産地競馬」で、農業振興の対象でもあり廃止を回避するために自治体もかなりの協力をしてくれた。しかし高知は純粋に興行としての開催で、自治体の財政負担には厳しい意見も目立った。一時は賞金はかなりの低水準だったし、なかなか強い馬も現れなかった。

しかし乾坤一擲の通年ナイター開催が、インターネット投票効果と相乗効果を生んだことで経営も賞金レベルも上向いた。競馬ファンの長男は仕事が終わると、家事の合間に南関東のナイトレースを楽しみながら道営や高知さらには佐賀も買っているそうだ。ネット中継にはパドック解説も付いていて、かなり楽しんでいるらしい。

種牡馬となって産駒を送り出しているシュヴァルグランを嚆矢として、現在は黒船賞で5着→4着と頑張っているサクラレグナムまでナイトレースが軌道に乗ってからトップクラスのレベルが上がっている。そして南関東に移籍してくる下級条件馬も確実にレベルアップしていて、甘く見るとガツンと穴を開けることもしばしば。

もっと早くにインターネット投票が普及していたら、もっと多くの地方競馬場がなくならずに済んだだろうか。東日本だけでも新潟・上山・高崎・宇都宮・足利が廃止されていて、浦和から北は岩手まですっかり競馬場がなくなってしまった。新潟・上山・高崎は、いずれも「雪国競馬」の趣のあるいい競馬場だった。

県営新潟競馬からは酒井忍騎手と山田信大元騎手(現調教師)が移籍して、南関東で大活躍した。笹川翼騎手は新潟で名手と言われた此村元騎手の孫、もし県営新潟競馬が存続していたら、新潟の騎手になっていたかもしれない。大井でネイティヴハートやテラザクラウドを担当した向山昇元厩務員も、県営新潟競馬の出身だった。

山形県の上山競馬は一周1100mある(ことになっていた)小さな競馬場だったけれど、交流重賞・さくらんぼ記念が行われていた。南関東では庄司大輔騎手と秋元耕成騎手が、現役で勝負師然とした騎乗ぶりを見せている。インターネットがなかったはるか昔、死んだ筈の馬に巡り会って仰天したがその話はまた別の機会に。

北関東の足利・高崎・宇都宮は、2003年から2006年に相次いで廃止された。現在南関東リーディングの森泰斗騎手の他にも、矢野貴之騎手や「ミスターピンク」内田利雄騎手、藤江渉騎手や野澤憲彦騎手といった「いぶし銀」も北関東にルーツを持つ。これらの競馬場が存続していたら、南関東競馬は全く違うものになっていたはずだ。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
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