種牡馬クロフネが、1月中旬に老衰のため23年の天寿を全うした。フレンチデピュティの輸入前の産駒で、外国産馬として2歳10月にデビュー。折り返しの新馬戦(当時は同一開催内は新馬戦に複数回出走できた)→エリカ賞を連続してレコード勝ちと当初から注目を集めていた。

ラジオたんぱ杯3歳S(ホープフルSの前身)で、翌年に無敗の皐月賞馬となるアグネスタキオン(皐月賞の後に故障して電撃引退)とダービー馬となるジャングルポケットに敗れて2歳戦を終えた。3歳になると毎日杯→NHKマイルCを連勝して、後に「マツクニローテ」と言われる臨戦過程でダービーへ。

その年から外国産馬に2頭の出走枠が設定されて、クロフネとルゼル(青葉賞勝ち馬)が出走権を獲得。当時の「Number」誌をめくると、松田国英師は「間違いなく種牡馬になる馬だから、G1からG1へ進んだ経歴が重要。」とローテーションの意義を強調している。

武豊騎手は、「エリカ賞で対戦した時に、大した威圧感を持った馬だなと。でもアーリントンCを勝ったダンツフレーム(皐月賞2着・後の宝塚記念馬)も頼まれていたし、NHKマイルCを勝ってすぐにダービーも乗ると決めたわけではなかったんです。」と振り返っている。

外国産馬への開放元年に颯爽と現れた「黒船」、ダービーではジャングルポケット・ダンツフレームと「三強」を形成した。しかし結果は5着、武豊騎手がレース前から心配していた「走りに前向きすぎるところ」が出てしまった。僚馬ボーンキングにも先着を許す、意外な完敗を喫した。

秋は神戸新聞杯3着で始動して、天皇賞・秋には出走が叶わずダートの武蔵野Sへ。そこで後にジャパンカップダートを勝つイーグルカフェをぶっちぎり。続くジャパンカップダートは、前年のフェブラリーSとジャパンカップダートを勝ったウイングアローをぶっちぎって2分05秒9の大レコード。

競走馬としては実働1年で10戦6勝、種牡馬としては8頭のG1ホースを送り出した。そのうち牡馬はフサイチリシャールとクラリティスカイの2頭、典型的なフィリーサイアーだった。最晩年に白毛のソダシが輩出したが、ユキチャンを始めとした白毛の父としても存在感を示した。

スポーツ紙のコラムでサラブレッド血統センターの藤井さんが、「ノーザンテーストに似ている」と評していた。個人的な感想だが、牡馬にタフネスを伝えて牝馬には爆発的なスピードを伝えたという点では、ブレイヴェストローマンにより近い感じがする。名馬の冥福を祈り、合掌。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
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