アブクマポーロが29年の天寿を全うして、天に召された。特別区競馬組合が発行したパブリシティ誌「東京ダート伝説」のトップを飾るこの馬には、「走る哲学者」というキャッチコピーがつけられている。通算32戦23勝、帝王賞・東京大賞典・川崎記念(2度)の大舞台でJRA勢を圧倒した王者。

上記以外にも交流重賞だけでもダイオライト記念(2回)・東海ウインターS、NTV盃とかしわ記念でJRA勢を撃破。3歳5月にデビュー戦を飾った晩成タイプで、大井時代は9戦4勝の条件馬だった。船橋転厩を機に本格化して、手をつけられない強さを発揮した5歳以降は負けたレースにドラマがあった。

7連勝で迎えた帝王賞、JRAからはバトルラインとシンコウウインディが来襲。南関東勢はアブクマポーロとコンサートボーイが迎え撃つ構図で、石崎隆騎手はコンサートボーイの主戦も務めていた全盛期。コンサートボーイは4月から内田博と新コンビだったが、騎乗停止を受けてこの日は的場文騎手が鞍上。

コンサートボーイはクラシックを全て2着で戦い終えて、4歳春に重賞3連勝したもののその後は「善戦マン」に戻っていた時期。連勝街道を走ってきたアブクマポーロが3番人気、コンサートボーイは4番人気。最後の直線で逃げたバトルラインを捉えて、2頭の叩き合いはクビ差でコンサートボーイに軍配。

それまで55キロまでしか背負ったことがなく、前走の大井記念は52キロだったアブクマポーロは初めて背負った57キロに苦しんだ。コンサートボーイはその前3走を58.5キロ→57キロ→58キロを背負って戦って3着→1着→3着、この日の57キロは背負い慣れた斤量だった。

秋はグランドチャンピオン2000→東海ウインターSを連勝、最後の二八での開催となった東京大賞典へ。1番人気に推されたアブクマポーロは、後続を20馬身以上離して逃げたホウシュウブライトとサージュウェルズを自ら捕まえに行って東海ウインターSで寄せ付けなかったトーヨーシアトルに不覚を取った。

ジョッキールームで石崎隆騎手が絞り出すように呟いた、「下手に…乗っちゃいましたかねえ。」という言葉が今でも耳から離れない。翌年は川崎記念から無双の強さで6連勝すると、盛岡の南部杯に遠征。厩舎に着くや、大きく嘶いたアブクマポーロに楠厩務員は「まずい、放牧に来たと勘違いしている。」

果たして、レースではいつもの行きっぷりがなく直線で大外に出してからようやくグンと加速したが時すでに遅く3着に敗れた。その後は南部杯で敗れたメイセイオペラに東京大賞典で2馬身半の決定的な差をつけてリベンジ、4連勝で競走生活を締め括った。勝負強さが光った名馬に、静かに手を合わせた。

◆竹内康光【馬よ草原に向かって嘶け】
http://bit.ly/17MDXV7

◇競馬通信社◇
http://ktsn.jp